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都会の百姓です。

私の父は8人兄弟の6番目。三男坊にも関わらず農家を継いだ。

第二次世界大戦も終わりのころ、長男・次男が相次いで戦死し、病弱だった祖父も戦後まもなく他界したことから、二十歳そこそこで一家を背負うこととなった。

そのころ、東京都練馬区とはいえ全くの農村地帯。農家の子弟は農業を継ぐのがあたりまえの時代だった。

28年前に無くなった明治生まれの祖母は、白石家で生まれ隣家から婿養子を迎えた。

8人の子を生み育て、明治・大正・昭和と生きてきた。長男と次男、そして夫を数年のうちに無くした祖母の悲しみは計り知れない。

私も祖母から、もの心つく前から農家を継ぐことが定めであるかのごとく言われてきた。結局、すっかりすり込まれたようで、気がつけば迷いながらも35年間農業をやってきた。

仏壇にある古い位牌を開けてみたことがある。

木札が20枚ほど重ねられていた。

一枚一枚に亡くなったご先祖の名前と亡くなった年が記されていて、最も古いものには江戸時代中期の年号があった。

わかる範囲でいえば、我が家はざっと三百年の歴史を持つことになる。

世襲制のもと親から子、子から孫へと農家を引き継いできた。

ときには豊かな時代もあったのかも知れない。

きっと、食うに困る日もあっただろう。

幾多の困難を乗り越え農業を継承してきた。

日本中の農家が、同様に世代を引き継ぎこの国の農業を築いてきた。

しかし、この仕組みが崩れようとしている。

多くの農家後継者が農業を選択しなくなった。

いや、できにくくなったこの時代、いったい誰がどうやって限りある農地を耕し生産していくことになるのだろうか。

農地を流動化させ、やる気のある人たちに農地を集積させる。

或いは法人が参入し効率よく生産を行う。

確かに農産物の生産性は向上するかも知れないが、将来どこまで限りある国土を守り続けることができるのだろうか。

国によっては、土地に対するこだわりが少なく、自分たちがやれなくなれば農業を継承してくれる人に売ってしまえばよいという。

そういった人たちからみれば、なぜそんなに土地に執着するのだろうかといった疑問も湧くかも知れない。

しかし、私たちばかりかアジアの多くの農民はそうやって農地を継承してきた。

毎年、盆になると叔父や伯母が集い賑やかに昔話に花を咲かせる。

皆仲良しだ。

いつも話題の中心は亡くなった祖母、祖父、そして二人の兄弟のこと。

私の心に強く残るのは、毎朝夕欠かさず仏壇にあかりを灯し、静かに手を合わす祖母の後ろ姿である。

その背中が祖母の多難な人生を語っていた。

盆が終われば、祖母をはじめとするご先祖さんたちも送り火とともに黄泉の国に帰っていく。

つかの間の休息のあと、また忙しい農作業の日々がはじまる。

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